一般社団法人 日本消化器がん検診学会

学会概要

検診に関わる医療従事者向けの声明

1.はじめに

 このたびの東日本大震災により非常に多くの方々が被災されました。さらに、東京電力福島第一原子力発電所の施設が破壊されたことにより、周辺環境への放射性物質の放出が未だに続いています。発電所周辺地域には、警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域が設定され、被ばくによる障害に対する関心が高まる一方で、マスメディアやインターネット上には様々な情報が溢れ、一般の方々には混乱を生じているものと思われます。また、胃がん検診のX線検査による被ばくについても不安を感じられ、受診を躊躇されている方も多いことでしょう。日本消化器がん検診学会では、検診に携わる医療従事者に被ばくに関する正しい知識に基づいてX線を用いた胃がん検診の安全性を再確認して頂き、確実に検診事業を推進して頂くために、この声明を発表いたします。

2.低線量放射線被ばくによる発がん

 放射線被ばくによる影響にはしきい値のある確定的影響と、しきい値のない確率的影響があることはよく御存知のことと思います。確定的影響はある一定の値(しきい値)より少ない線量では影響が現れず、しきい値を超えると線量に応じてその確率が増加する性質のものであり、一方、確率的影響は線量に応じてその確率が増加するもので、どんな低い線量でも確率がゼロにならないとされるものです。今回の原発事故においては、発電所内で作業される方々の職業被ばくで確定的影響が問題となる場合があり得ますが、一般の方々では殆ど問題となりません。確率的影響には発がんと遺伝的影響が含まれますが、遺伝的影響は動物実験では確認されているものの、ヒトにおいては確認されていないため、実際的に問題となるのは発がんになります。胃がん検診のX線検査を含めて、医療に用いられる診断用のX線検査で使用される低線量域の被ばくでは確定的影響は起こりえず、確率的影響である発がんが問題となります。
 放射線被ばくによる発がんにはしきい値がなく、被ばく線量の増加と共にリスクが直線的に増加するというLNT(linear non-threshold)仮説を前提として、低線量域の被ばくによる発がんのリスクが計算されています。これは広島・長崎の原爆被爆者の追跡調査などから得られた高線量でのデータを、低線量域まで当てはめて求められる直線上の確率で発がんが起こると仮定したものです。しかし、発がんにしきい値がないという仮定については従来から論争があり、100mSv以下の低線量域の被ばくによる発がんのリスクの有無については明確な結論は得られていません。胃がん検診のX線検査や、原子力発電所の周辺地域における被ばくはせいぜい数mSv、あるいは、それより遥かに小さい被ばくであり、放射線以外の発癌要因も数多くある中で、被ばくの影響によるがん発生率の微妙な増加の有無を疫学的・統計学的に確認することは極めて難しいことです。

3.個人被ばくの線量限度

 被ばくは職業被ばく、医療被ばく、公衆被ばくに分類されています。職業被ばくは医療従事者や原子力発電所などで放射線作業に従事する職業人の被ばくであり、医療被ばくは診断・治療目的で生じる患者本人の被ばくに相当します。胃がん検診での被ばくもこの医療被ばくに含まれます。職業被ばく、医療被ばく以外のすべての被ばくが公衆被ばくになり、一般の方々が通常の生活で受ける被ばくになります。国際放射線防護委員会(ICRP : International Commission on Radiation Protection)は職業被ばくの個人線量限度を5年間で100mSv、かつ1年間で50mSvを超えない事としています。また、公衆被ばくにおける個人線量限度を1年に1mSvと勧告していますが、今回の原発事故を受けて緊急的に一般人の年間被ばく限度を20mSvに引き上げることを求めています。この変更に不安を感じられている受診者が多いと思われます。しかし、線量限度は放射線防護・管理のために設定された数値であり、この限度を超えると発がん等のリスクを生じて危険であるという線量を示したものではないということを熟知して下さい。先にも述べたように、100mSv以下の線量では発がんのリスクが増加する明確な証拠は得られていないのです。
 また、医療被ばくについては線量限度が定められていません。医療による被ばくにおいてはいかなる検査、治療であっても相当の便益を伴っているものであり、被ばくの不利益よりも得られる便益の方が大きいと考えられるからです。X線を用いる胃がん検診においては、この検診を行うことによって集団における胃がん死亡の減少効果が確認されており、便益が勝っていることの証しになります。

4.胃X線検査による被ばく線量

 胃がん検診で行われるX線検査の被ばく線量は間接撮影装置を用いる場合、1検査あたりの実効線量は平均0.6mSv、直接撮影装置では1検査あたり3.7-4.9mSvと報告されています。いずれの装置においても100mSv以下の被ばくによるが発がんのリスクが不確定な状況を考慮すれば、かなり低いレベルにあると思われます。ここでいう実効線量とは、胃の検査のように部分的にしか受けない被ばくを全身被ばくに換算して表しているものであり、直接被ばくを受けている臓器はより高い線量を受けていることになります。
 胃X線検査の皮膚表面の吸収線量に関する実態調査を行った小山らの報告では、透視と撮影を合計した間撮影接装置による1件あたりの皮膚表面の吸収線量は平均18.19mGy(10.02-46.19)、直接撮影装置では平均80.30mGy(33.09-225.36)とされています。装置による相違だけではなく、施設間格差もかなり大きいことが分かります。また、加藤らのNDD法(入射表面線量簡易換算法)を用いたアンケート調査に基づいた報告によると、間接撮影装置での1件あたりの透視と撮影を合計した総線量は平均49.72mGy(10.89-106.78)、直接撮影装置では平均167.61mGy(10.63-1058.15)となっており、やはり施設間格差が大きくみられています。日本放射線技師会では医療被ばくの適正化の方策として各種検査別ガイドライン値を公表しており、胃X線検査においては、直接撮影装置で100mGy、間接撮影装置で50mGyを低減目標値としています。この目標値を厳守出来ていれば、発がんのリスクは胃がん死亡率の低下という便益に比して比較の対象にはならないものと考えられます。今回の被ばくへの関心の高まりを受けて、各検診施設での線量を再確認して頂き、目標値に達していない施設では早急に対策を講じて頂く必要があります。その上で、安全に受診できる胃がん検診を行っていることを受診者にアピールしていきましょう。

5.おわりに

 今回の東日本大震災に関連した福島第一原子力発電所の事故による被ばくへの不安から、未だ曾てないほどに放射線被ばくへの関心が高まっています。放射線を扱うプロとして、被ばくに対して正しい認識を持って検診事業を行いましょう。公衆被ばくのわずかな増加をおそれるあまり、必要な検査を受けないことは検査で得られる便益を享受できないことになります。日常生活で受ける被ばく線量が若干増加した状況であっても、発がんのリスク増加には明らかな証拠はありません。一方、X線を用いる胃がん検診を受診することによる便益には明らかな証拠があります。“あの時、検診を受けるのをやめていなければ、もっと早期に胃がんを発見できていたのに”と後悔される方を一人も生じさせないように、X線による胃がん検診の有用性をこれまで以上に広く啓蒙していきましょう。

平成23年6月16日

社団法人日本消化器がん検診学会
理事長 深尾 彰

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